ふたり


 太陽が世界を照らすと、朝が来る。
 月が昇ると、それは夜の訪れを告げる。
 これまでそうして時間が流れ、日々が紡がれてきた。朝と夜が交互に訪れる間で人々は出会い、そんなことにはお構いなしに光と影の繰り返しはこれからも続いていく。

 その中で、大きな流れから見ればほんの些細な、けれど、二人にとっては特別な夜を越え、朝が来る。




 カーテンの隙間から零れ落ちた朝日で起こされる。眠りという暗闇の世界から急に引きずり出されたために、焦点が合わない。他人が見れば、寝ぼけ眼とはまさにこのことだ、と思うだろう。
 今日もまた朝がやってきた。部屋に細く差し込む光が、天気の良さを教えてくれる。すぐに起き上がることもできず、大きく伸びて寝返りを打った。いつもの癖だ。まずは眠気覚ましにコーヒーを入れねばらない。
 普段と変わらない、一日の始まり。

「……朝、か」
 朝が来たということは、夜を越えてきたということである。ありふれた時間の巡りの果てに立っている。そう考えようとしても、全身に、感覚に、感情に──自分の全てに残る記憶が許してくれない。

 昨日までと圧倒的に違うのは、隣にぬくもりがもう一つあること。そしてそれが当たり前であるということ。

 一人ではない、と感じられることは即ち、幸せを掌にそっと乗せてもらったようであった。規則正しい寝息さえ愛おしい。自分の手に届く範囲にそれがあるという実感を忘れたくなくて、栗色の髪の毛をそっと梳いた。絡むことなく指先を流れていき、はらりと落ちる。
 ああ、ここにいる。俺と、お前と、二人がいる。


「紅莉栖」
 彼女が喜ぶその言葉を、静かに口にする。ほんの数時間前に幾度となく呼んだ名前も、その時帯びていたはずの熱はすっかり消え去っていた。それをきっかけに昨夜の光景が過ぎり、思いがけず顔が火照りそうになる。ごまかしたかったのか、あるいは何かを共有したかったのか、ふわりと彼女の頬に触れると、長い睫毛が震えた。しまった、と思う間もなく気怠そうな声が漏れる。
「……んー」
 紅莉栖が身を捩る。そっとしておいても、これでは直に目を覚ましてしまうだろう。寝かせたままにしてやることを諦めて、声を掛けた。
「おはよう」
 その挨拶で意識を引き上げられたらしい彼女は目を瞬かせ、しばらくの間沈黙を貫く。そして、たどたどしい口調で朝を告げた。
「……お、はよう」
「その見慣れないものを見たような視線はなんだ」
「だって、なんか、変な感じ」
 横になったまま眠そうな瞳をこちらに向けてくる。答える代わりに顔にかかった前髪を払ってやると、紅莉栖はくすぐったそうに笑った。
「これが俺たちの平凡になっていくんだぞ」
 まだ頭が回りきっていないらしい天才少女は、とても無邪気に見える。髪に触れていた指が捕らえられ、絡められた。伝わる体温が二人の存在を教えてくれる。その手をしっかりと包みこんでやると、紅莉栖は満足気な笑みを湛えた。
「……うん、悪くない」

 二人でいるから、ありふれた挨拶や時間に特別な意味を持たせることができる。やがて特別が当たり前のものになっていき、やってくるのがいつもと変わらない日々になったとして、それほど幸せなことはない。
 そうして、日常の中で繋がりを確かめていく。噛み締めていく。




 おはよう。これから、二人の時間が始まっていくんだ。

 おやすみ。明日からもまた二人で歩いていこう。