「リュウの……」
「?」
「ばかやろおおおおお!」
「!?」
「なんだなんだ、痴話喧嘩か?」
……これは嵐の予感、なのか?
君のことどう思ってるか、教えてあげようか
たまにはみんなで食事にでも行こうよ、という成歩堂の誘いに、まあたまにならいいだろう、と珍しく積極的に乗った御剣は途中で落ち合った、同じく成歩堂に誘われた幼馴染の矢張と待ち合わせ場所である成歩堂法律事務所の扉の前に立ち尽くしていた。
扉をノックしようと左手を伸ばした瞬間、事務所の中から御剣にとっては非常に聞き覚えのある女性の声が聞こえてきたのが、つい先程のこと。
(そもそもあいつのことをあのような呼び方で呼ぶ人物が他に思い当たらん)
そう思い巡らせ、一瞬何事かと手を止めたが、気を取り直してドアに手の甲を打ち付けたのと、先程とは比べ物にならないほどの大声……もはや怒号が聞こえてきたのがほぼ同時だった。
「なあ、真宵ちゃんってあんな声だったっけか?」
声の主が分からない矢張は首を捻っている。
「いや、あれは真宵くんではなく……」
成歩堂の高校時代の同級生であり、彼を「リュウ」と呼ぶ、自分の部下である彼女だ。それもほぼ100%の確率で。
「ま、いいや。とにかく中に入ろうぜ」
俺腹減っちゃったよー、と自分の腹をさすりながらにへら、と笑って矢張はドアノブに手をかけ、そのまま扉を開いて事務所へと足を踏み入れた。面倒なことに巻き込まれなければいいが……と思いつつ御剣も矢張に続く。
「おっじゃまっしまーす」
「邪魔するぞ」
「あ、ミツルギ検事にヤッパリさん! いらっしゃい!」
二人に気付いた真宵が目を丸くして満面の笑みをたたえ、歓迎する。……が、いささか状況が歓迎されるような雰囲気とは似つかわしくないことは、御剣はもちろん、矢張にさえ感じられた。
二人の目にまず飛び込んできたのは、応接室の机を挟んでギリギリと見つめ合う……いや、睨み合う男女、成歩堂となごみだった。
もちろん、なごみは御剣の部下であり成歩堂の友人であるため今日の夕食会に招かれている。御剣には片付けなければならない書類があったため、なごみには先に出発してもらっていたのだった。
そんな二人の様子をわくわく、と擬音が聞こえてきそうなほど楽しげに見つめて「いけー! なごみさん、なるほどくんのことやっつけちゃえ!」などと煽っている真宵と、その横で「まさか……なるほどくんとなごみ様が真宵様の取り合いを……!」と顔を赤らめる春美。
よく見れば、成歩堂はなごみと睨み合いつつも目がにやけている。一方のなごみは至って真剣で、そのうち泣き出すのではなかろうかというほどだった。
あまりにもその光景がシュールで、御剣は言葉を発することさえ躊躇った。
(な、なんなのだ一体……)
「おい、成歩堂!」
そんな御剣の頭の中の嵐をよそに、矢張が大声を上げる。
「あ、矢張。来てたんだ。御剣も、いらっしゃい」
「あ……御剣検事、お疲れ様です。えーと、あなたがヤッパリくん? こんばんは!」
その声に初めて来客に気付いた様子の二人は、同時に目線を外して矢張と御剣を見やった。
「うむ、お疲れ……ではなく!」
あまりにもいつもの調子で、ついつられそうになった御剣はこほん、と咳払いをして態勢を整え、続ける。
「一体なんだというのだ……」
「そうだよ一体何なんだよ!」
この異様な雰囲気は! と最後まで言わせてもらえず、矢張に遮られてしまった。
「こんな可愛い子がお前の友達だなんて聞いてないぞ! ……成歩堂、お前、この子のなんなのさ!」
一瞬の、沈黙。
それを破ったのはなごみだった。
「聞いていた通りの女性好きなんですね、ヤッパリくんって」
驚いたように目をぱちくりさせてなごみが矢張を見つめると、真宵が脇から茶々を入れる。
「でしょでしょ? もうね、いつもこんな感じなんですよ。それで何度も痛い目にあってるのに一向に懲りなくて。困っちゃいますよねー」
「へええ、テンプレート的な女好きなんだ」
今どきいるんだね、こんな人……と、物珍しげに矢張を眺めるなごみを御剣も成歩堂も苦笑してやり過ごすしかなかった。
なんというか、正直に言えばあまりにも正確すぎて突っ込む気にもなれない、というのが今の気持ちである。
しかしそのような状況に張本人が納得するわけもない。
「なあ、俺なんかしたか?! なんでいきなり女の子にこき下ろされなきゃいけないわけ? 答えろよ御剣!」
ずい、と詰め寄られて御剣は一歩後退する。
「それはその……すまぬ。私の部下がお前にひどいことを……」
彼女が言っていることは至極もっともなことで、初めて矢張に会ったにもかかわらずここまで的確に彼を言い表せたことに、御剣は感心さえしていたのだが。いくら旧知の友人でもここは建前を使わねば面倒なことになると分かりきっていた。だから(一応)誠心誠意謝罪しようとした。
しかし、矢張はそれとは別のことでまた勝手にショックを受けていたようで。
「ぶ……部下?」
「あ、ああ。彼女……なごみ君は私直属の部下で、地方検事局に勤める事務官だ。成歩堂とは高校時代の同級生らしいな」
「な、なんだよそれ……」
初対面にして口の悪い女性が御剣の部下であるという事実に衝撃を覚えたのかと思いきや、矢張はわなわなと唇を震わせて、仕舞いには叫びだした。
「……ってことは俺以外みんな知り合いなんじゃねーかよ! お、お前らみんなして俺のこと除け者にしやがって……!」
死ぬ、死んでやるんだあ! と叫ぶ矢張を見ながら、成歩堂は何かを思い出したように苦笑した。
真宵は真宵で「お腹減ってきたね、はみちゃん。今日はなるほどくんとミツルギさんが奢ってくれるから遠慮しないで食べていいんだよ」と妙なことを春美に教え込み、「あの……私、なんか酷いこと言ってしまったのでしょうか」と少しばかり反省した様子のなごみは、御剣に遠慮がちに尋ねてくる。先ほどまで成歩堂と睨み合っていたことなどすっかり忘れているかのようだった。
「……いや、あれでいいのだよ」
「はあ……ならいいんですけど」
と、ふと視線をずらしたなごみはその視界に成歩堂を捉えたらしく、さっきまでの一触即発状態を思い出したのか、ふいっと顔を逸らした。
そんななごみの態度に気付いた成歩堂はやれやれと心底呆れ返った様子だが、御剣がここにやってきた時に最初に見たような、どこか楽しげな目をしている。
まったく収拾のつかなくなってきている成歩堂法律事務所の中で、この嵐に巻き込まれきっておらず、冷静にかつ客観的にこの有様を見ている自分こそが一番の除け者なのではないかと、御剣がくだらない疑心暗鬼に囚われはじめるほど、そこは「無法地帯」と呼ぶに相応しかった。
(ここは仮にも法律事務所なのだが……無法地帯とは、皮肉なものだ)
御剣が思案に耽っていると急に、ぽん、と手を叩く音が聞こえ、てんでばらばらのことをしていた人物たちが一斉に音のした方へと首を向けた。
「まま、とにかくさ! これだけ大勢の人が集まったことですし。もう全員揃ったよね? 出発しませんか?」
もういい時間ですよ、と声の主である真宵が時計を指差した。確かにそれは夕飯時の時刻を指し示していた。
「真宵ちゃんの言うとおりだな。そろそろでかけるか」
みんな戸締り協力してー、という成歩堂の声をきっかけにようやく本来の目的に向けて全員が動き始めたのは、もう夏の陽がすっかり傾いて、事務所の窓から入ってくる西日が弱まった頃だった。
***
六人が向かった先は、チェーンの居酒屋だった。御剣は未成年二人を居酒屋に連れて行くことが若干憚られたが、
「あたしお酒飲めませんし、ジュースがあれば大丈夫ですよ。ね、はみちゃん?」
「はい、わたくしはジュースがあれば幸せです!」
「む……ならいいのだが」
無邪気な春美を見ていると、いくら御剣でも頬が緩む。
「それに」
思い出したように真宵が呟く。
「なんだろうか」
「大勢のほうが楽しい、ですもんね?」
「……ああ、そうだな。多いほど賑やかになる。悪いことではないな」
「でしょでしょ?」
やっぱりミツルギ検事は話が分かるなあ、なんて楽しそうに笑う真宵。その真宵と手を繋いでいる春美もつられて笑っている。
「わたくし、みなさまとご一緒にいられることが楽しいです!」
「うんうん、そうだよね」
そうか、と思い当たる。
彼女……真宵はこの幼い少女のことを気にかけているのだろう。恐らく聡い春美のことだ、父親も母親も彼女にとって不本意な形で去っていったことを詳しい事情は知らずとも、また理解できなくとも心の端で感じているのかもしれない。
そんなある意味”孤独”な春美の唯一の家族である真宵は、彼女を一人にさせないよう、気の知れた仲間と大勢で過ごすことは楽しいことなのだと教えようとしている。
真宵もまた、家族を不本意な形で亡くしている一人だから余計に、なのだろう。同様に成歩堂や春美に助けられているのかもしれない、と御剣は思う。
「ミツルギ検事、どっかの親戚のおじさんみたいな顔してますよ」
「む……これは、失礼。ちょっと考え事をしていた」
「ならいいんですけど……それより、見てくださいよあの三人」
真宵が指差した先には、矢張を真ん中に挟んで横に並んで歩く成歩堂となごみがいた。
「なんだかんだでなごみさんとヤッパリさん、打ち解けてますよね」
「……そのようだな」
矢張はもう誰もが見慣れたへらへらして笑顔を浮かべ、なごみも楽しそうに彼の話を聞いている。彼らの立ち位置から見て、相変わらず、成歩堂との冷戦は続いているようだが。
そんな状況をよそに、成歩堂はやはり楽しそうな色を顔に浮かべてながら二人の会話を聞いている。
御剣はもはや彼の気持ちがまったく理解できなくなっていた。友人を怒らせておいてどうしてあそこまで楽しそうにしていられるのだ……もしや、性癖か? などと考えてみる。
「……ミツルギ検事、今度は頭で考えてることが顔に出てますよ」
「今のはまさに、ビミョウな表情でした」
「す、すまない……」
春美にまで指摘されて形無しとなってしまい、うろたえる。そんな御剣を救うかのように、矢張が目的地に着いたことを大声で知らせた。
さ、今日は食べるよ、はみちゃん! という真宵の気合に、はい、お付き合いいたします! と袖をまくって元気よく答える春美。
ここまでくると本物の姉妹だな、と御剣は微笑んだ。なごみが見たら、恐らくあまりの珍しさに絶句するくらいの、心からの微笑みで。
***
宴もたけなわ、だった。
成人済みの四人はいい感じに酒が回って話も一段と盛り上がっていた。なごみと成歩堂の喧嘩もやっと落ち着いたようで、普通に言葉を交わすまでになっていた。今日は大分飲んだな、と思っていたところに、ビールのジョッキを片手に持ちながら矢張が口を開いた。
「そういえばさあ、なごみちゃん、俺たちが事務所に行った時成歩堂と喧嘩してなかったか?」
その言葉を聞いてなごみは思い出した、というように目を見開き、そうなの! と大声を出した。
「なあ、お前も驚いてたし、なごみちゃんがあんだけ怒ってた理由が気になるよな?」
唐突に話を振られ、御剣は少しむせる。
「あ、ああ。確かに、いつもの君らしくはなかったな」
「聞いてくれます? リュウったら酷いんですよ!」
酒のせいもあるだろう、なごみは普段よりも幼く見え、さらに饒舌になっていた。その言葉をきっかけに堰を切ったように事の顛末を話し出した。
御剣に言われ、執務室を先に出て成歩堂法律事務所に向かったなごみは、成歩堂と真宵、春美の三人に迎えられた。
なごみと成歩堂が高校時代の同級生だと知っていた二人は、彼女に成歩堂の高校時代の話を根掘り葉掘り尋ねた。なごみもそれに応えて、隣で過ごして見てきたものをそれはもう赤裸々に語ったらしい。
(真宵曰く、「なるほどくんが高校1年生のときにできた彼女とどうやって付き合うようになったとか、結構えぐい話でした」という内容だったらしい)
そこでふと、真宵が「それだけ一緒にいたのに好きになったり付き合おうとか思わなかったんですか?」となごみに尋ねた。
なごみは「まあ、なんか、ね。そういう感じじゃなかったんだよなあ」と言うと、その言葉に成歩堂がにやりと笑った。
「僕が当時、君のことどう思ってたか……いや、今でもどう思ってるか教えてあげようか」
なごみは成歩堂がそんなことを言うとは思わず、驚きながら彼の言葉を待った……
「で、何て言ったと思います?」
持っていたグラスをテーブルにばん、と置くとまた先ほどの怒りを思い出したのか成歩堂を睨みつけた。
「私のこと、妹だって言ってきたんです!」
「……は?」
「だーかーらー、あろうことかリュウは私のことを妹って言ったんですよ」
握り締めた拳が震えている。御剣は呆気に取られて次の言葉が出せないでいた。
「仲間、とか戦友ならまだしも、妹って何よ」
「そんなに妹って気に入らないかなあ。僕は可愛らしい響きだと思うけど」
「気に入らないよ! 大体誕生日だって私のほうがリュウより先でしょ? しかも私がこんなに怒ってるのに、なんだかにやにや笑ってるし!」
(く、くだらん……)
思っていたよりも喧嘩の原因が軽かったことに御剣は安堵するやら呆れるやらで、傍らのジョッキのビールを口に含んだ。(あ、それ僕の! という成歩堂の叫びは無視した)
しかし、そこで御剣はまた成歩堂がにやにやと楽しそうに笑っていることに気付いた。
やっと御剣も理解する。
彼女が以前言っていたように、二人の間には共通の思い出というキラキラとしたものがあるのだということが、手に取るように分かったから。
彼が、同い年の彼女のことを妹と呼ぶこと。彼女を見る時に楽しそうな表情を浮かべること。
なんとなく、分かるような気がした。
ただ、それを口に出して成歩堂に賛同すると、今度は御剣になごみの怒りの矛先が向けられることは分かりきっていたので、黙っていることを決めた。
「あーなるほどな。そりゃお前が悪いわ」
今までのやり取りを聞いていたのかいなかったのか、無責任に矢張がなごみの肩を持つ。
「なんでだよ!」
「いい? よく思い出してもみなさいよ。あんたのことどんだけ面倒見てきたと思ってるの!」
中間とか期末とかレポートとか! とまくし立てると、さすがに良心が咎めたのか成歩堂の目が泳ぐ。
「そ、それは感謝してるよ……あれがなかったら僕単位取れてたか不安だし」
その言葉に満足したらしく、なごみはよろしい、と笑ってグラスに残っていたビールをすべて流し込み、おかわり! と叫んだ。
春美が眠そうな表情をしだしたので、そろそろ夕食会(という名の飲み会)もお開きの流れになっていた。
今度は、今はアメリカにいてこの場に来られなかった冥も連れてきてやろう、と御剣は思う。口ではバカが寄って集ってバカバカしい……と文句を言いつつも、この大勢で過ごす心地よさは彼女も分かっているはずだから、必ず参加するだろう。
そこまで考えて、自分がこの”ぬるま湯”を心地よいと感じていることに気付いて思わず苦笑する。まさかこのように考える日が来るとは、心の底から思っていなかったため余計に驚きを隠せない。
「あー、みつるぎ検事、何一人で笑ってるんですかー。ちょっと気持ち悪いですよー」
「なに、ただの思い出し笑いだ。しかし君は飲みすぎだ、なごみ君」
次の日に響くぞ、と忠告するとなごみはふにゃりと笑った。
「いいんですー。今日はリュウが事務所に泊めてくれますから。真宵ちゃんと春美ちゃんとお泊りなんですよ! 羨ましいでしょー」
先ほどまでの喧嘩はどうしたのだ、と突っ込みたくなるほどだった。
(しかし……)
あまりにも楽しそうに笑っているものだから、つい、まあいいかと思ってしまう。いつもはこき使ってしまっている分、たまにはこうやって羽目を外すのもいい気分転換になるだろう。
「え、なになに? ミツルギ検事が女子お泊り会を羨ましいって?」
「そうなんだよ真宵ちゃん。本当困っちゃうよねえ、私の上司なのに」
「か、勝手なことを言うな!」
「まあ、ミツルギ様もわたくしたちと一緒にお話がしたいのですか?」
それは楽しくなりそうですね、と嬉しそうな表情を浮かべるものだから、強く否定できずに口ごもってしまう。
「いや、そういう訳ではなくてだな……」
「御剣も事務所、泊まってけば?」
追い討ちをかけるように成歩堂が口を開く。
「何かあると困るからさ、僕も今日は事務所に泊まるけど、そうすると女の子ばっかりで居辛いだろ?」
だからおいでよ、と言う。
「矢張もどう?」
「なーんか楽しそうじゃんかよ! 俺は行くぜ!」
「ほら、これで決まりだな。まあ、たまにはいいじゃん。みんなで集まって騒ぐっていうのも、さ」
お前だって楽しいだろ? と尋ねられ、御剣はふっと笑った。
「まあな、たまには悪くない」
支払いを済ませて(伝票はしっかりと成歩堂に押し付けられていた)外に出ると、すっかり夜の空気に入れ替わっていた。
「じゃあじゃあ、今度は高校2年の時の話が聞きたい!」
「いいよ。まだまだ面白い話はいくらでもあるからね」
「ちょ、ちょっと勘弁して欲しいんだけどなあ……」
夜空に楽しげな声が響いていく。
これまでの宴会のせいか、御剣はすっかり目が冴えてしまっていた。一時は眠たそうにしていた春美をはじめ、それは誰もが同じようだった。
こんな日は奴らの素敵な思い出話、とやらを聞くのもいいだろう。